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夏休みは佐久市で芸術を感じよう!「キッズ・サーキットin佐久」0歳から楽しめる家族向け芸術祭

こんにちは。プラザ佐久です。 夏休みの計画はお済みですか?「子どもの感性を育み、家族で忘れられない思い出を作りたい」そんな願いを叶える特別なイベント、「キッズ・サーキットin佐久」が今年も開催されます。幅広い年代の子どもたちとその家族が、さまざまな舞台芸術を体験できる夏限定のイベントです。この記事では「キッズ・サーキットin佐久」の全容と、必見のプログラム、チケット情報、さらに周辺の観光スポットをご紹介します。この夏は佐久市で、心に残る芸術体験を家族で楽しみませんか? ※本記事に記載の公演予定やチケット購入方法などの情報はいずれも記事執筆時に確認したものです。最新情報は必ず公式ホームページやSNSを参照ください 「キッズ・サーキットin佐久」とは イベントの概要と歴史 「キッズ・サーキットin佐久」は、2018年に「児童・青少年のための舞台芸術フェスティバル」として第1回が開催され、毎年0歳から楽しめる舞台芸術フェスティバルとして夏休み期間中に開催されています。2025年の今年は第8回目を迎えます。市内各所の文化施設を舞台に、有名劇団やアーティストが集結し、演劇・音楽・ワークショップなど多彩なプログラムが予定されています。 芸術に触れる「舞台芸術フェスティバル」としての特徴 キッズ・サーキットin佐久は、市内複数会場を親子で「めぐる」ことをコンセプトに、パスポート制・完全予約制を導入し、家族が複数公演を計画的に楽しめる仕組みが特徴です。演劇・音楽・ベイビーシアター・ワークショップなど多彩なジャンルのプログラムが用意されています。また、地域文化の発信にも力を入れており、地元の文化団体やアーティストと連携し、子どもたちが観るだけではなく、実際に参加・体験して主役になれるワークショップも用意されています。 このような「家族で市内をめぐりながら多彩な舞台芸術を体験できる夏の芸術祭」は、全国的にも珍しく、他の地域ではなかなか体験できないユニークなイベントとなっています。 2025年の開催日程・会場・主催などの基本情報 2025年8月1日(金)~3日(日)の3日間、全24公演 会場:市内の5施設で同時開催・佐久市コスモホール(長野県佐久市下小田切124-1)・佐久平交流センター(長野県佐久市佐久平駅南4-1)・交流文化館浅科(長野県佐久市八幡229)・市民創錬センター(長野県佐久市猿久保165-1)・駒の里ふれあいセンター(長野県佐久市望月303) 主催:佐久市と佐久市文化事業団 2025年7月31日(木)オープニングステージ アクションミュージカル「ボクらはみんな生きている」パスポート不要!入場無料!全席自由!・会場:佐久市コスモホール(大ホール)・定員:750名・開演時間:①14:00②18:00いずれも開演時間の30分前から開場 オープニングステージは、パスポート購入不要ですが、無料の入場券が必要です。入場券は市内の施設で6月14日(土)から配布を開始しており、なくなり次第終了します。 配布場所:佐久市コスモホールと佐久平交流センター 見どころ・プログラム内容 注目イベント・子どもが主役になれるワークショップ オープニングステージ、今年の演目は「ボクらはみんな生きている」 佐久市コスモホールが主催する、こども創作シアター「IPPO(いっぽ)」の取り組みによるものです。小学3年生から高校2年生までの子どもたちが、オーディションや稽古に参加し、企画から出演まで携わるアクションミュージカルです。キッズ・サーキットin佐久のオープニングを飾る舞台として、毎年多くの観客が楽しみにしています。 2025年注目の公演・人気アーティスト ピアニカの魔術師スペシャルライブ 8月3日(日)に佐久平交流センターで開催します。テレビや各地のイベントで話題の「ピアニカの魔術師」チームによる、子どもから大人まで楽しめる圧巻の音楽パフォーマンスは、毎年大人気の公演です。 0歳から参加OK!年齢別おすすめプログラム 「キッズ・サーキットin佐久」では、お子様の成長や年齢に合わせてプログラムを選べるよう、おすすめの対象年齢が紹介されています。 0~3歳対象のベイビーシアター 演者との距離が近く、五感を刺激する演出や安心して過ごせる空間づくり、赤ちゃんの集中力や安心感に配慮された公演が特徴です。赤ちゃんの初めての舞台体験としても好評です。 3歳~小学生・ファミリー 笑いと驚きに満ちたクラウンショーや、物語の世界に引き込まれる人形劇など、親子で楽しめるプログラムが充実しています。...

夏休みは佐久市で芸術を感じよう!「キッズ・サーキットin佐久」0歳から楽しめる家族向け芸術祭

こんにちは。プラザ佐久です。 夏休みの計画はお済みですか?「子どもの感性を育み、家族で忘れられない思い出を作りたい」そんな願いを叶える特別なイベント、「キッズ・サーキットin佐久」が今年も開催されます。幅広い年代の子どもたちとその家族が、さまざまな舞台芸術を体験できる夏限定のイベントです。この記事では「キッズ・サーキットin佐久」の全容と、必見のプログラム、チケット情報、さらに周辺の観光スポットをご紹介します。この夏は佐久市で、心に残る芸術体験を家族で楽しみませんか? ※本記事に記載の公演予定やチケット購入方法などの情報はいずれも記事執筆時に確認したものです。最新情報は必ず公式ホームページやSNSを参照ください 「キッズ・サーキットin佐久」とは イベントの概要と歴史 「キッズ・サーキットin佐久」は、2018年に「児童・青少年のための舞台芸術フェスティバル」として第1回が開催され、毎年0歳から楽しめる舞台芸術フェスティバルとして夏休み期間中に開催されています。2025年の今年は第8回目を迎えます。市内各所の文化施設を舞台に、有名劇団やアーティストが集結し、演劇・音楽・ワークショップなど多彩なプログラムが予定されています。 芸術に触れる「舞台芸術フェスティバル」としての特徴 キッズ・サーキットin佐久は、市内複数会場を親子で「めぐる」ことをコンセプトに、パスポート制・完全予約制を導入し、家族が複数公演を計画的に楽しめる仕組みが特徴です。演劇・音楽・ベイビーシアター・ワークショップなど多彩なジャンルのプログラムが用意されています。また、地域文化の発信にも力を入れており、地元の文化団体やアーティストと連携し、子どもたちが観るだけではなく、実際に参加・体験して主役になれるワークショップも用意されています。 このような「家族で市内をめぐりながら多彩な舞台芸術を体験できる夏の芸術祭」は、全国的にも珍しく、他の地域ではなかなか体験できないユニークなイベントとなっています。 2025年の開催日程・会場・主催などの基本情報 2025年8月1日(金)~3日(日)の3日間、全24公演 会場:市内の5施設で同時開催・佐久市コスモホール(長野県佐久市下小田切124-1)・佐久平交流センター(長野県佐久市佐久平駅南4-1)・交流文化館浅科(長野県佐久市八幡229)・市民創錬センター(長野県佐久市猿久保165-1)・駒の里ふれあいセンター(長野県佐久市望月303) 主催:佐久市と佐久市文化事業団 2025年7月31日(木)オープニングステージ アクションミュージカル「ボクらはみんな生きている」パスポート不要!入場無料!全席自由!・会場:佐久市コスモホール(大ホール)・定員:750名・開演時間:①14:00②18:00いずれも開演時間の30分前から開場 オープニングステージは、パスポート購入不要ですが、無料の入場券が必要です。入場券は市内の施設で6月14日(土)から配布を開始しており、なくなり次第終了します。 配布場所:佐久市コスモホールと佐久平交流センター 見どころ・プログラム内容 注目イベント・子どもが主役になれるワークショップ オープニングステージ、今年の演目は「ボクらはみんな生きている」 佐久市コスモホールが主催する、こども創作シアター「IPPO(いっぽ)」の取り組みによるものです。小学3年生から高校2年生までの子どもたちが、オーディションや稽古に参加し、企画から出演まで携わるアクションミュージカルです。キッズ・サーキットin佐久のオープニングを飾る舞台として、毎年多くの観客が楽しみにしています。 2025年注目の公演・人気アーティスト ピアニカの魔術師スペシャルライブ 8月3日(日)に佐久平交流センターで開催します。テレビや各地のイベントで話題の「ピアニカの魔術師」チームによる、子どもから大人まで楽しめる圧巻の音楽パフォーマンスは、毎年大人気の公演です。 0歳から参加OK!年齢別おすすめプログラム 「キッズ・サーキットin佐久」では、お子様の成長や年齢に合わせてプログラムを選べるよう、おすすめの対象年齢が紹介されています。 0~3歳対象のベイビーシアター 演者との距離が近く、五感を刺激する演出や安心して過ごせる空間づくり、赤ちゃんの集中力や安心感に配慮された公演が特徴です。赤ちゃんの初めての舞台体験としても好評です。 3歳~小学生・ファミリー 笑いと驚きに満ちたクラウンショーや、物語の世界に引き込まれる人形劇など、親子で楽しめるプログラムが充実しています。...

佐久・中山道さんぽ 第6弾|八幡宿:喧騒から離れて、歴史にふれる静かなひととき

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。第6弾は「八幡宿(やわたしゅく)」です。喧騒から離れ、静かな時間が流れる町並みのなかを歩く旅です。 八幡宿とは 八幡宿は、千曲川の西岸に位置しています。対岸の塩名田宿の加宿である御馬寄地区や、次である望月宿からは約3kmと、比較的近い距離にあります。この宿場町は、慶長年間(1596〜1615年)から元和(げんな)年間(1615〜1624年)にかけて整備されたそうです。その際に、当時周辺にあった八幡・蓬田・桑山の3村が集まって形成されたそうです。本陣/問屋1軒(小松家)、脇本陣3軒(小松家・松沢家・鷹野家)、脇本陣/問屋1軒(依田家)、旅籠3軒がありました。比較的小規模な宿場だったとされているそうですが、脇本陣が4軒と多いことが特徴です。 宿場間の距離が近い位置に整備され、脇本陣が多かった背景には、千曲川の川止めや八幡宿と望月宿の間にある瓜生坂(うりゅうざか)という難所の影響、この近辺一帯が強粘土質で降雨や雪解けによって通行が困難になると、旅人が滞留しやすかったためだそうです。 また、宿場町としては1つにまとめられていましたが、もともと3つの村が集まって作られた経緯から、村ごとに名主などの村役がおり、それぞれ独立して運営されていたそうです。 八幡宿の東側は、粘土質の土壌が水田に適していたため、後に市川五郎兵衛によって開拓されました。現在では、その功績によってできた広大な「五郎兵衛新田」が広がっており、この地域のブランド米である「五郎兵衛米」を育んでいます。 五郎兵衛米については、プラザ佐久のこちらの記事もご覧ください。佐久市観光のお土産に最適!幻の米「五郎兵衛米」とは? 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 参照:佐久商工会議所:佐久歴史の道 町並み・見どころ 八幡宿には、江戸時代の宿場町の面影を感じさせる静かな町並みが広がっています。周辺に観光用の駐車場は設置されていませんが、八幡神社の裏手にある駐車場がアクセスしやすく便利です。詳しい場所は地図をご参照ください。 かつての宿場町を感じられる場所 町内には本陣や問屋、脇本陣の跡地が点在し、現存する建物もあります。本陣跡(小松屋)は、八幡宿の中央付近にあり、現在も当時の場所に門(薬医門)が現存しています。この門は中山道沿いの宿場本陣で最も古いといわれているそうで、佐久市の指定史跡にもなっています。脇本陣や問屋跡も町内に点在し、依田家などに一部の建物が現存しています。往時のままの姿で残る建物は限られていますが、外観や門などが史跡として現存しており、説明板が設置されており、宿場の歴史を学ぶ手がかりとなっています。 本陣から約90mの場所に、富岡街道のわかされ(街道の分岐点)があります。ここから南へ富岡街道(下仁田・富岡方面)や、野沢を経て佐久甲州道など複数の道が分岐しているそうで、米や特産品の流通や旅人の往来など、交通の要衝だったことがうかがえます。 参照:佐久広域連合 寺社 八幡神社は、この地域の鎮守社(ちんじゅしゃ)であり、八幡宿の地名の由来となった神社です。佐久市の有形文化財に指定されている本殿、瑞垣門(みずがきもん)、随神門、算額があり、見事な彫刻が施されています。算額に関しては額殿に奉納されており、長野県で最古の物と言われているそうです。また、境内には八幡神社の旧本殿である高良社(こうらしゃ)があり、こちらは国の重要文化財に指定されています。八幡神社の前には、八幡宿の江戸方の枡形(ますがた:入口)があったそうで、現在でも神社前の道路が多少広くなっています。八幡宿においては、京方の枡形が作られた記録や形跡がないそうです。 八幡宿周辺のグルメ 竹とんぼ 八幡宿から徒歩15分の場所にある中華レストランです。特産品である五郎兵衛米の米粉や、信州サーモンなど、地元の食材を活かしたメニューのほか、予約をすればジビエや佐久鯉なども楽しめます。 宴会のご予約や、オードブルなども取り扱っています。詳しい情報や営業時間などは、以下のリンクをご参照ください。レストラン竹とんぼ ちゃたまや:お菓子 八幡宿から徒歩16分の場所に、佐久市で人気の卵とスイーツのお店「ちゃたまや」があります。地元で生産された卵にはこだわりがあり、ジェラート、シュークリーム、焼き菓子の数々、お惣菜やお弁当など、さまざまな商品がそろっています。宿場町さんぽの休憩処として、おいしいスイーツを楽しむのもおすすめです。 詳しい情報や営業時間は、以下のリンクをご参照ください。ちゃたまや また、プラザ佐久ではちゃたまやに関する記事も掲載していますので、そちらもあわせてご覧ください。ほっとぱーく浅科にちゃたまやが出店・魅力をご紹介 八幡宿を満喫するための過ごし方 歴史と史跡めぐり 八幡宿に残る史跡や町並みを散策しながら、当時の雰囲気を味わえます。特に八幡神社は、この地域の鎮守社であり、佐久市有形文化財や国の重要文化財に指定された建造物も見どころです。参拝とあわせて歴史的な価値のある建築や彫刻を楽しんでください。 地元食材のグルメを楽しむ 八幡宿周辺には、地元の食材を使った中華レストランの「竹とんぼ」や人気のスイーツ店「ちゃたまや」があります。いずれも徒歩圏内にあり、気軽に立ち寄ることができます。場町さんぽの際は、昼食や休憩処として自慢の味をゆっくり楽しんでみてはいかがでしょうか。...

佐久・中山道さんぽ 第6弾|八幡宿:喧騒から離れて、歴史にふれる静かなひととき

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。第6弾は「八幡宿(やわたしゅく)」です。喧騒から離れ、静かな時間が流れる町並みのなかを歩く旅です。 八幡宿とは 八幡宿は、千曲川の西岸に位置しています。対岸の塩名田宿の加宿である御馬寄地区や、次である望月宿からは約3kmと、比較的近い距離にあります。この宿場町は、慶長年間(1596〜1615年)から元和(げんな)年間(1615〜1624年)にかけて整備されたそうです。その際に、当時周辺にあった八幡・蓬田・桑山の3村が集まって形成されたそうです。本陣/問屋1軒(小松家)、脇本陣3軒(小松家・松沢家・鷹野家)、脇本陣/問屋1軒(依田家)、旅籠3軒がありました。比較的小規模な宿場だったとされているそうですが、脇本陣が4軒と多いことが特徴です。 宿場間の距離が近い位置に整備され、脇本陣が多かった背景には、千曲川の川止めや八幡宿と望月宿の間にある瓜生坂(うりゅうざか)という難所の影響、この近辺一帯が強粘土質で降雨や雪解けによって通行が困難になると、旅人が滞留しやすかったためだそうです。 また、宿場町としては1つにまとめられていましたが、もともと3つの村が集まって作られた経緯から、村ごとに名主などの村役がおり、それぞれ独立して運営されていたそうです。 八幡宿の東側は、粘土質の土壌が水田に適していたため、後に市川五郎兵衛によって開拓されました。現在では、その功績によってできた広大な「五郎兵衛新田」が広がっており、この地域のブランド米である「五郎兵衛米」を育んでいます。 五郎兵衛米については、プラザ佐久のこちらの記事もご覧ください。佐久市観光のお土産に最適!幻の米「五郎兵衛米」とは? 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 参照:佐久商工会議所:佐久歴史の道 町並み・見どころ 八幡宿には、江戸時代の宿場町の面影を感じさせる静かな町並みが広がっています。周辺に観光用の駐車場は設置されていませんが、八幡神社の裏手にある駐車場がアクセスしやすく便利です。詳しい場所は地図をご参照ください。 かつての宿場町を感じられる場所 町内には本陣や問屋、脇本陣の跡地が点在し、現存する建物もあります。本陣跡(小松屋)は、八幡宿の中央付近にあり、現在も当時の場所に門(薬医門)が現存しています。この門は中山道沿いの宿場本陣で最も古いといわれているそうで、佐久市の指定史跡にもなっています。脇本陣や問屋跡も町内に点在し、依田家などに一部の建物が現存しています。往時のままの姿で残る建物は限られていますが、外観や門などが史跡として現存しており、説明板が設置されており、宿場の歴史を学ぶ手がかりとなっています。 本陣から約90mの場所に、富岡街道のわかされ(街道の分岐点)があります。ここから南へ富岡街道(下仁田・富岡方面)や、野沢を経て佐久甲州道など複数の道が分岐しているそうで、米や特産品の流通や旅人の往来など、交通の要衝だったことがうかがえます。 参照:佐久広域連合 寺社 八幡神社は、この地域の鎮守社(ちんじゅしゃ)であり、八幡宿の地名の由来となった神社です。佐久市の有形文化財に指定されている本殿、瑞垣門(みずがきもん)、随神門、算額があり、見事な彫刻が施されています。算額に関しては額殿に奉納されており、長野県で最古の物と言われているそうです。また、境内には八幡神社の旧本殿である高良社(こうらしゃ)があり、こちらは国の重要文化財に指定されています。八幡神社の前には、八幡宿の江戸方の枡形(ますがた:入口)があったそうで、現在でも神社前の道路が多少広くなっています。八幡宿においては、京方の枡形が作られた記録や形跡がないそうです。 八幡宿周辺のグルメ 竹とんぼ 八幡宿から徒歩15分の場所にある中華レストランです。特産品である五郎兵衛米の米粉や、信州サーモンなど、地元の食材を活かしたメニューのほか、予約をすればジビエや佐久鯉なども楽しめます。 宴会のご予約や、オードブルなども取り扱っています。詳しい情報や営業時間などは、以下のリンクをご参照ください。レストラン竹とんぼ ちゃたまや:お菓子 八幡宿から徒歩16分の場所に、佐久市で人気の卵とスイーツのお店「ちゃたまや」があります。地元で生産された卵にはこだわりがあり、ジェラート、シュークリーム、焼き菓子の数々、お惣菜やお弁当など、さまざまな商品がそろっています。宿場町さんぽの休憩処として、おいしいスイーツを楽しむのもおすすめです。 詳しい情報や営業時間は、以下のリンクをご参照ください。ちゃたまや また、プラザ佐久ではちゃたまやに関する記事も掲載していますので、そちらもあわせてご覧ください。ほっとぱーく浅科にちゃたまやが出店・魅力をご紹介 八幡宿を満喫するための過ごし方 歴史と史跡めぐり 八幡宿に残る史跡や町並みを散策しながら、当時の雰囲気を味わえます。特に八幡神社は、この地域の鎮守社であり、佐久市有形文化財や国の重要文化財に指定された建造物も見どころです。参拝とあわせて歴史的な価値のある建築や彫刻を楽しんでください。 地元食材のグルメを楽しむ 八幡宿周辺には、地元の食材を使った中華レストランの「竹とんぼ」や人気のスイーツ店「ちゃたまや」があります。いずれも徒歩圏内にあり、気軽に立ち寄ることができます。場町さんぽの際は、昼食や休憩処として自慢の味をゆっくり楽しんでみてはいかがでしょうか。...

佐久・中山道さんぽ 第5弾|岩村田宿:暮らしの中にある宿場町 商人の歴史と人の営みを感じる町

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。第5弾は「岩村田宿(いわむらだしゅく)」です。岩村田宿は商人の町として栄え、今も佐久市の中心地として活気を保っています。その独自の歴史や、寺院が本陣・脇本陣の役割を担った背景、現代に受け継がれる町のにぎわいなど、他の宿場町とは異なる魅力が詰まっています。本記事では、岩村田宿の歴史・見どころ・現代の姿をわかりやすくご紹介します。 岩村田宿とは 岩村田宿は、江戸時代に本陣・脇本陣を持たず、商人の町として独自の発展を遂げた宿場町であり、今も佐久市の中心地となっています。 岩村田宿に本陣がなかった理由とは? それは、元禄十六年(1703年)に内藤氏により岩村田藩が成立し、この地域が藩の中心となったためだそうです。特に、幕末に岩村田城(藤ヶ城)が築かれると城下町としての町割りが本格化し、大名や幕府高官などの宿泊は藩主や城主が管理していたため外部の有力者が自由に宿泊することが制限されていたそうです。こうした背景から、旅籠の数も少なく、天保14年(1843年)当時で家屋350軒のうち旅籠はわずか8軒のみで、周辺の寺院が本陣・脇本陣の機能を果たしていたと伝えられています。 岩村田藩成立に際して岩村田が選ばれた理由は、政治・経済・交通の中心地としての機能が備わっていたためだそうです。鎌倉時代に信濃でも有数の都市として発展(戦国の世で一時衰退したが再興された)し、江戸時代には米穀の集積地であり、中山道・善光寺街道・佐久甲州道・下仁田道の分岐点として、交通の要衝であったとされています。 本陣・脇本陣に代わり、問屋が町の政治や運営にも深く関わっていたそうです。問屋は「上の問屋」・「下の問屋」の2軒体制で半月交代で業務を分担していました。他の宿場町では宿泊や人馬手配が主な役割でしたが、岩村田宿は交通の要衝であったことから、商業取引・物資流通に関する業務が活発で、佐久地域一帯の経済の中心地としてにぎわっていたそうです。こうした背景により、岩村田宿は本陣・脇本陣を設けず、寺院や問屋がその役割を担うという、中山道でも極めて珍しい形態をとりました。その結果、商人の町として発展していったとされています。参照:佐久市   信州佐久旅の観光ガイド   佐久商工会議所:佐久歴史の道 町並み・見どころ 岩村田宿は、商人文化と現代の暮らしが融合した独特の雰囲気が魅力です。歴史的なスポットや老舗店、寺社など、歩いて巡れる見どころが点在していますので宿場町さんぽをしながらその魅力を体感してください。 岩村田商店街にある「天神堂商店街 駐車場」は岩村田宿へアクセスしやすい無料の駐車場です。 商業活動の拠点とそれを支えた2つの寺院 岩村田宿は、問屋が物流の中心を担い、寺院が本陣・脇本陣の役割を果たすという、全国的にも珍しい町の仕組みで発展してきました。現在の商店街は建て替えられていますが、町割りや道筋に当時の面影が感じられます。 問屋建物(上の問屋:荻原家・原家、下の問屋:依田家) 宿場運営や物流の中心であった2軒の問屋は、「上の問屋」が本町の龍雲寺の南側にあり、「下の問屋」は相生町の交差点の北側にありました。これらの問屋が商業の拠点となり、宿場町の発展を支えました。 岩村田宿では、龍雲寺が本陣、西念寺が脇本陣の役割を担っていたそうです。本陣・脇本陣の役割を寺院が担っていた理由は、寺院特有の広い敷地や格式が適していたためです。大広間や専用の部屋を提供し、宿泊・会議・儀式の場として利用されていたそうで、単なる宿泊施設としてだけでなく、重要な情報交換や公的な行事の拠点にもなっていました。 歴史と信仰に触れる寺社と史跡 若宮八幡神社(岩村田八幡神社) 宿場町の氏神として古くから地域の信仰を集めてきた神社です。毎年7月中旬の「岩村田祇園祭」では、神輿が町内を巡ります。当日は歩行者天国となり各種イベントも開催されるお祭りです。参照:岩村田商店街 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 住吉神社 岩村田宿の入り口で、江戸方の枡形近くにあり、この付近から岩村田宿が始まります。戦国時代の文明年間(1469〜1487年)に創建され、庚申塔や道祖神、石祠などが祀られています。 鼻顔稲荷神社(はなづらいなり) 岩村田宿の北側にある湯川の断崖上にあり、朱塗りの鳥居や境内の雰囲気が印象的な神社です。江戸時代には「おこもり」と呼ばれる、主に女性が遠方から参拝に訪れる風習が盛んで、稲荷町・花園町は鳥居前町としてにぎわいました。毎年2月11日の「初午祭」では、湯川のほとりで奉焼祭(ほうしょうさい)が執り行われ、1年間お世話になったダルマのお焚き上げをし、縁起物の販売も行われます。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 岩村田城址(藩陣屋跡) 本町商店街の南東側に造られ、現在は宅地化や小学校、公園の敷地となっており、一部に土塁や城址碑が残されています。 旧中山道と旧旧中山道 岩村田宿には「旧中山道」と「旧旧中山道」という2つの道筋があります。旧中山道は江戸時代中期以降に整備され、現在の岩村田本町商店街を中心としたメインストリートとして残っている道筋です。旧旧中山道は、江戸時代以前から使われていた古い道筋です。現在の旧中山道から一筋奥に入った道筋で、佐久ホテルの前を通っています。岩村田宿を訪れる際は、旧中山道と旧旧中山道の両方を歩き、宿場町の歴史や文化の奥深さをぜひ体感してみてください。 暮らしとともにある岩村田宿の“いま”...

佐久・中山道さんぽ 第5弾|岩村田宿:暮らしの中にある宿場町 商人の歴史と人の営みを感じる町

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。第5弾は「岩村田宿(いわむらだしゅく)」です。岩村田宿は商人の町として栄え、今も佐久市の中心地として活気を保っています。その独自の歴史や、寺院が本陣・脇本陣の役割を担った背景、現代に受け継がれる町のにぎわいなど、他の宿場町とは異なる魅力が詰まっています。本記事では、岩村田宿の歴史・見どころ・現代の姿をわかりやすくご紹介します。 岩村田宿とは 岩村田宿は、江戸時代に本陣・脇本陣を持たず、商人の町として独自の発展を遂げた宿場町であり、今も佐久市の中心地となっています。 岩村田宿に本陣がなかった理由とは? それは、元禄十六年(1703年)に内藤氏により岩村田藩が成立し、この地域が藩の中心となったためだそうです。特に、幕末に岩村田城(藤ヶ城)が築かれると城下町としての町割りが本格化し、大名や幕府高官などの宿泊は藩主や城主が管理していたため外部の有力者が自由に宿泊することが制限されていたそうです。こうした背景から、旅籠の数も少なく、天保14年(1843年)当時で家屋350軒のうち旅籠はわずか8軒のみで、周辺の寺院が本陣・脇本陣の機能を果たしていたと伝えられています。 岩村田藩成立に際して岩村田が選ばれた理由は、政治・経済・交通の中心地としての機能が備わっていたためだそうです。鎌倉時代に信濃でも有数の都市として発展(戦国の世で一時衰退したが再興された)し、江戸時代には米穀の集積地であり、中山道・善光寺街道・佐久甲州道・下仁田道の分岐点として、交通の要衝であったとされています。 本陣・脇本陣に代わり、問屋が町の政治や運営にも深く関わっていたそうです。問屋は「上の問屋」・「下の問屋」の2軒体制で半月交代で業務を分担していました。他の宿場町では宿泊や人馬手配が主な役割でしたが、岩村田宿は交通の要衝であったことから、商業取引・物資流通に関する業務が活発で、佐久地域一帯の経済の中心地としてにぎわっていたそうです。こうした背景により、岩村田宿は本陣・脇本陣を設けず、寺院や問屋がその役割を担うという、中山道でも極めて珍しい形態をとりました。その結果、商人の町として発展していったとされています。参照:佐久市   信州佐久旅の観光ガイド   佐久商工会議所:佐久歴史の道 町並み・見どころ 岩村田宿は、商人文化と現代の暮らしが融合した独特の雰囲気が魅力です。歴史的なスポットや老舗店、寺社など、歩いて巡れる見どころが点在していますので宿場町さんぽをしながらその魅力を体感してください。 岩村田商店街にある「天神堂商店街 駐車場」は岩村田宿へアクセスしやすい無料の駐車場です。 商業活動の拠点とそれを支えた2つの寺院 岩村田宿は、問屋が物流の中心を担い、寺院が本陣・脇本陣の役割を果たすという、全国的にも珍しい町の仕組みで発展してきました。現在の商店街は建て替えられていますが、町割りや道筋に当時の面影が感じられます。 問屋建物(上の問屋:荻原家・原家、下の問屋:依田家) 宿場運営や物流の中心であった2軒の問屋は、「上の問屋」が本町の龍雲寺の南側にあり、「下の問屋」は相生町の交差点の北側にありました。これらの問屋が商業の拠点となり、宿場町の発展を支えました。 岩村田宿では、龍雲寺が本陣、西念寺が脇本陣の役割を担っていたそうです。本陣・脇本陣の役割を寺院が担っていた理由は、寺院特有の広い敷地や格式が適していたためです。大広間や専用の部屋を提供し、宿泊・会議・儀式の場として利用されていたそうで、単なる宿泊施設としてだけでなく、重要な情報交換や公的な行事の拠点にもなっていました。 歴史と信仰に触れる寺社と史跡 若宮八幡神社(岩村田八幡神社) 宿場町の氏神として古くから地域の信仰を集めてきた神社です。毎年7月中旬の「岩村田祇園祭」では、神輿が町内を巡ります。当日は歩行者天国となり各種イベントも開催されるお祭りです。参照:岩村田商店街 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 住吉神社 岩村田宿の入り口で、江戸方の枡形近くにあり、この付近から岩村田宿が始まります。戦国時代の文明年間(1469〜1487年)に創建され、庚申塔や道祖神、石祠などが祀られています。 鼻顔稲荷神社(はなづらいなり) 岩村田宿の北側にある湯川の断崖上にあり、朱塗りの鳥居や境内の雰囲気が印象的な神社です。江戸時代には「おこもり」と呼ばれる、主に女性が遠方から参拝に訪れる風習が盛んで、稲荷町・花園町は鳥居前町としてにぎわいました。毎年2月11日の「初午祭」では、湯川のほとりで奉焼祭(ほうしょうさい)が執り行われ、1年間お世話になったダルマのお焚き上げをし、縁起物の販売も行われます。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 岩村田城址(藩陣屋跡) 本町商店街の南東側に造られ、現在は宅地化や小学校、公園の敷地となっており、一部に土塁や城址碑が残されています。 旧中山道と旧旧中山道 岩村田宿には「旧中山道」と「旧旧中山道」という2つの道筋があります。旧中山道は江戸時代中期以降に整備され、現在の岩村田本町商店街を中心としたメインストリートとして残っている道筋です。旧旧中山道は、江戸時代以前から使われていた古い道筋です。現在の旧中山道から一筋奥に入った道筋で、佐久ホテルの前を通っています。岩村田宿を訪れる際は、旧中山道と旧旧中山道の両方を歩き、宿場町の歴史や文化の奥深さをぜひ体感してみてください。 暮らしとともにある岩村田宿の“いま”...

佐久・中山道さんぽ 第4弾|茂田井間の宿:小さな宿場町の静けさに包まれて初夏のさんぽ

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。 第4弾は「茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)」です。ひっそりとたたずむ宿場町で、古い街並みと自然を感じながら散策してみてはいかがでしょうか。 茂田井間の宿とは 茂田井間の宿は、中山道望月宿と芦田宿の間に位置する地域です。江戸時代、宿場間の距離が長かったため「間の宿」として設けられました。本陣や旅籠はなく、旅人が休息するための場所として機能していたそうです。幕府は本宿以外での宿泊を厳しく取り締まっていたため、茂田井はあくまで休憩所ですが、大行列や特別な事情の際には重要な役割を果たしていたそうです。 また、茂田井は良質な米の産地であり、小諸藩主や家臣たちが茂田井産の米を江戸まで運ばせた歴史があります。元禄2年(1689年)には酒造りが始まったそうで、現在も2軒の老舗酒蔵が現役で稼働しています。 町並み・見どころ 宿場の長さは750m〜1.7kmほどで、江戸時代の道幅や町割りがそのまま残っているため、ほとんど当時と変わらない町並みが残されています。 望月地区にある「おいでなんし望月へ駐車場」や「望月商工会佐久市観光協会望月支部駐車場」からは、徒歩で35分です。駐車場から徒歩で向かうと、道沿いにある道標などの史跡を見ながら歩けます。また、宿場の中には、アクセスしやすい場所に「大澤酒造駐車場」があります。 歴史的な建物と文化財 茂田井間の宿で最大の魅力は、昔ながらの町並みが残されていることです。明治・昭和期に新たな道が集落を迂回して整備されたため、現代的な開発を免れ、当時の面影が色濃く残りました。白壁の土蔵や板塀、連子格子の家々が旧街道沿いに並び、道端には江戸時代から続く水路が静かに流れています。この水路と坂道のある地形は町並みの風情を一層引き立てています。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 町並みの保存は、法的な景観保存地区の指定によるものではなく、住民たちの「この景観を後世に残したい」という強い思いと自主的な努力によって守られてきたそうです。この住民主体の保存活動によって、茂田井間の宿ならではの温かさと静けさを今に伝えています。 江戸時代後期の住宅や酒造施設など30棟が国の登録有形文化財に指定されています。これほど多くの建物が一度に登録されているのは全国的にも珍しいそうです。特に、大澤酒造と武重本家酒造の建物は現役で使われており、伝統的な酒蔵建築や蔵の敷地が良好な状態で保存されています。 大澤酒造 元禄2年(1689年)創業の330年以上の歴史を持つ老舗酒蔵です。酒蔵は非公開ですが、敷地内には、酒造りに使われていた古い酒蔵を改装した「しなの山林美術館」「大澤酒造民俗資料館」「名主の館書道館」があります。 「民俗資料館」が開設された経緯は、創業元年に醸造されたと思われるお酒が蔵内で見つかり、現存する最古の日本酒と認定されたことがきっかけでした。資料館には、その日本酒が詰められていた古伊万里の壺「秘蔵元禄の壺」や、酒造に眠っていた数々の資料が展示されています。資料館の隣接には、大澤家出身の画家・大澤邦雄氏の喜寿を記念して建てられた「しなの山林美術館」と、近代書道の祖・比田井天来や天来門流作家の作品、明鏡止水のラベルの書家・吉野大巨氏の作品などが展示されている「名主の館書道館」もあり、歴史とともに芸術も堪能できるスポットとなっています。 資料館の営業時間は9:00〜17:00(最終入館16:30)。定休日は年末年始です。団体の場合は事前連絡が必要です。 参照:長野県博物館協議会 武重本家酒造 江戸時代後期から明治・大正期にかけて建てられた住宅や酒造施設は、前述の登録有形文化財群の一部であり、主屋をはじめとする建物が今なお当時の姿をとどめています。土蔵造りや切妻造りといった伝統的な建築様式が残され、蔵の中では現在も日本酒造りが続けられています。 映画「たそがれ清兵衛」や「男はつらいよ」のロケ地であり、「サマーウォーズ」では武重本家酒造の建物が作中のモデルとなって登場しています。また、明治・大正時代の歌人である若山牧水がこの地を訪れたことを記念し、敷地内に歌碑が建てられています。牧水が詠んだ酒や旅をテーマにした和歌が刻まれ、文学ファンにも人気のスポットとなっています。 歴史と信仰に触れる寺社と史跡 神明社:茂田井の鎮守社です。伊勢神宮と同じ神明造りの本殿が特徴で、地域の人々の信仰を集めてきました。 諏訪社:境内には村内各地から集められた大小9基の夫婦道祖神が並んでいます。 無量寺:古くからこの地域にある寺院です。 石割坂:茂田井宿の上組と下組を結ぶ坂道です。かつて大きな岩があったそうですが、中山道整備の際に岩を砕き通りやすくしたことから、石割坂と呼ばれています。 茂田井一里塚:江戸時代の旅人が距離の目安とした塚で、当時の交通や旅の様子が感じられます。 上組高札場跡:江戸時代、法令やお触れを掲示した場所の跡で、当時の行政や地域の様子を伝えています。 参照:佐久商工会議所:佐久歴史の道 茂田井間の宿のグルメと体験...

佐久・中山道さんぽ 第4弾|茂田井間の宿:小さな宿場町の静けさに包まれて初夏のさんぽ

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。 第4弾は「茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)」です。ひっそりとたたずむ宿場町で、古い街並みと自然を感じながら散策してみてはいかがでしょうか。 茂田井間の宿とは 茂田井間の宿は、中山道望月宿と芦田宿の間に位置する地域です。江戸時代、宿場間の距離が長かったため「間の宿」として設けられました。本陣や旅籠はなく、旅人が休息するための場所として機能していたそうです。幕府は本宿以外での宿泊を厳しく取り締まっていたため、茂田井はあくまで休憩所ですが、大行列や特別な事情の際には重要な役割を果たしていたそうです。 また、茂田井は良質な米の産地であり、小諸藩主や家臣たちが茂田井産の米を江戸まで運ばせた歴史があります。元禄2年(1689年)には酒造りが始まったそうで、現在も2軒の老舗酒蔵が現役で稼働しています。 町並み・見どころ 宿場の長さは750m〜1.7kmほどで、江戸時代の道幅や町割りがそのまま残っているため、ほとんど当時と変わらない町並みが残されています。 望月地区にある「おいでなんし望月へ駐車場」や「望月商工会佐久市観光協会望月支部駐車場」からは、徒歩で35分です。駐車場から徒歩で向かうと、道沿いにある道標などの史跡を見ながら歩けます。また、宿場の中には、アクセスしやすい場所に「大澤酒造駐車場」があります。 歴史的な建物と文化財 茂田井間の宿で最大の魅力は、昔ながらの町並みが残されていることです。明治・昭和期に新たな道が集落を迂回して整備されたため、現代的な開発を免れ、当時の面影が色濃く残りました。白壁の土蔵や板塀、連子格子の家々が旧街道沿いに並び、道端には江戸時代から続く水路が静かに流れています。この水路と坂道のある地形は町並みの風情を一層引き立てています。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 町並みの保存は、法的な景観保存地区の指定によるものではなく、住民たちの「この景観を後世に残したい」という強い思いと自主的な努力によって守られてきたそうです。この住民主体の保存活動によって、茂田井間の宿ならではの温かさと静けさを今に伝えています。 江戸時代後期の住宅や酒造施設など30棟が国の登録有形文化財に指定されています。これほど多くの建物が一度に登録されているのは全国的にも珍しいそうです。特に、大澤酒造と武重本家酒造の建物は現役で使われており、伝統的な酒蔵建築や蔵の敷地が良好な状態で保存されています。 大澤酒造 元禄2年(1689年)創業の330年以上の歴史を持つ老舗酒蔵です。酒蔵は非公開ですが、敷地内には、酒造りに使われていた古い酒蔵を改装した「しなの山林美術館」「大澤酒造民俗資料館」「名主の館書道館」があります。 「民俗資料館」が開設された経緯は、創業元年に醸造されたと思われるお酒が蔵内で見つかり、現存する最古の日本酒と認定されたことがきっかけでした。資料館には、その日本酒が詰められていた古伊万里の壺「秘蔵元禄の壺」や、酒造に眠っていた数々の資料が展示されています。資料館の隣接には、大澤家出身の画家・大澤邦雄氏の喜寿を記念して建てられた「しなの山林美術館」と、近代書道の祖・比田井天来や天来門流作家の作品、明鏡止水のラベルの書家・吉野大巨氏の作品などが展示されている「名主の館書道館」もあり、歴史とともに芸術も堪能できるスポットとなっています。 資料館の営業時間は9:00〜17:00(最終入館16:30)。定休日は年末年始です。団体の場合は事前連絡が必要です。 参照:長野県博物館協議会 武重本家酒造 江戸時代後期から明治・大正期にかけて建てられた住宅や酒造施設は、前述の登録有形文化財群の一部であり、主屋をはじめとする建物が今なお当時の姿をとどめています。土蔵造りや切妻造りといった伝統的な建築様式が残され、蔵の中では現在も日本酒造りが続けられています。 映画「たそがれ清兵衛」や「男はつらいよ」のロケ地であり、「サマーウォーズ」では武重本家酒造の建物が作中のモデルとなって登場しています。また、明治・大正時代の歌人である若山牧水がこの地を訪れたことを記念し、敷地内に歌碑が建てられています。牧水が詠んだ酒や旅をテーマにした和歌が刻まれ、文学ファンにも人気のスポットとなっています。 歴史と信仰に触れる寺社と史跡 神明社:茂田井の鎮守社です。伊勢神宮と同じ神明造りの本殿が特徴で、地域の人々の信仰を集めてきました。 諏訪社:境内には村内各地から集められた大小9基の夫婦道祖神が並んでいます。 無量寺:古くからこの地域にある寺院です。 石割坂:茂田井宿の上組と下組を結ぶ坂道です。かつて大きな岩があったそうですが、中山道整備の際に岩を砕き通りやすくしたことから、石割坂と呼ばれています。 茂田井一里塚:江戸時代の旅人が距離の目安とした塚で、当時の交通や旅の様子が感じられます。 上組高札場跡:江戸時代、法令やお触れを掲示した場所の跡で、当時の行政や地域の様子を伝えています。 参照:佐久商工会議所:佐久歴史の道 茂田井間の宿のグルメと体験...

佐久・中山道さんぽ 第3弾|塩名田宿:千曲川と宿場町 水辺の景色を楽しむのんびりさんぽ

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。 第3弾は「塩名田宿(しおなだしゅく)」です。千曲川を中心に形成された塩名田宿では、水辺の町ならではの景色や雄大な浅間山を望む風景をぜひ楽しんでください。 塩名田宿とは 塩名田宿は、江戸から数えて23番目の中山道の宿場町です。千曲川の東側に作られた川沿いにあり、浅間山を望む自然豊かな場所にあります。 千曲川は「近郷無類の荒れ川」とも呼ばれ、たびたび氾濫を繰り返してきました。橋が流されると旅人は渡し舟を使うしかなく、川の増水時には旅人の足を止める宿として重要な役割を担っていたそうです。また、舟運や交通の要所としても栄えたそうです。江戸時代には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠7軒が並び、東西に長い町並みが特徴です。 下宿・中宿・河原宿の3つのエリアと、千曲川の西側には塩名田宿の加宿だった御馬寄村も位置しており、それぞれに異なる趣があります。町並みを歩くと、家々の軒先に「〇〇屋」といった旧屋号の看板が掲げられており、江戸時代から続く宿場町の歴史や人々の暮らしを感じられます。 町並み紹介・見どころ 駐車場:旧浅科公民館は本陣問屋跡の向かいにあり、公共トイレも設置されています。バス停のある大きな通り沿いにあるため、利用しやすい立地です。 下宿・中宿・河原宿・御馬寄村、各エリアの町歩き 下宿 宿場町の入口にあたり、かつては旅籠や商家が軒を連ねていました。今も古い建物が点在し、静かな雰囲気が漂います。中宿との間には小諸宿へ至る小諸道があり、小諸藩にとって領内支配の主要道路だったそうです。明治2年(1869年)の川西騒動では、小諸藩兵がこの道から塩名田宿へ入り、千曲川の西エリアにある御馬寄地区へ集結した一揆勢と向かいあったそうです。 中宿 ここは宿場の中心部にあたります。本陣・脇本陣・問屋場が置かれ、旅人や大名行列でにぎわったエリアです。現在も本陣問屋跡(大井屋・丸山善兵衛本陣跡)が残っています。建物は個人宅のため内部は非公開ですが、外観から歴史を感じることができます。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 佐越家住宅は天保2年(1831年)築の町屋で、もとは農家でしたが町屋造りに改築されたそうです。隣には白壁・土蔵造りの蔵元があり、かつては造り酒屋としてにぎわったそうです。 河原宿 千曲川に近いエリアです。通称「お滝通り」と呼ばれる坂を下ると、旅籠風の建物がいくつか現われます。川魚料理屋や昭和初期の建物も残り、かつてのにぎわいが感じられます。千曲川に近いこの通りは、川のせせらぎとともにさんぽが楽しめるエリアとなっています。昭和6年(1931年)に千曲川に架かる中津橋が架け替えられ、国道が高い位置を通過するようになりました。そのため、国道沿いの住宅では既存の2階建に増築して4階建てとし、国道へ直接出られるようにした住宅が見られます。また、国道に上るための階段も所々に作られています。 河原宿では、「塩名田宿宿場祭り」が毎年10月第2日曜日に開催されています。宿場綱引き大会や中山道宿場太鼓など、地域をあげてのにぎやかなイベントです。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 御馬寄村(みまよせむら) 平安期に官牧望月牧(かんぼくもちづきのまき)の牧馬を検査し、朝廷への貢馬を寄せ集めた場所だったことから「御馬寄」という地名になったと伝えられています。近隣地域にも「駒寄」「御牧原」など牧場運営の中心的な施設があったそうで、望月牧の一部として機能していたそうです。 望月地域の歴史については、プラザ佐久の他の記事もぜひご覧ください。【佐久エリア紹介】望月地区の魅力とは。歴史ある建物や風情が残る町並みを散策佐久・中山道さんぽ 第1弾|望月宿:レトロな街並みを楽しむ初夏のさんぽ道 江戸時代には馬や人夫が配備され、木賃宿もあったそうです。八幡宿まで3kmと近く、川止めなどの際の宿泊者にも対応していたそうです。また、米市場として集落には数軒の穀物問屋や商家があり、物流の拠点としても繁盛したようです。 塩名田宿を象徴する史跡と寺社 休み茶屋跡と湧き水と十九夜塔 中宿から河原宿への坂を下る途中には、かつて「滝明神」があり、ケヤキの根元から水が湧き出ていました。隣には「角屋」と呼ばれた休み茶屋があり、旅人の疲れを癒やしていました。滝明神はその後、塩名田神社へ移されましたが、今も清らかな水が流れています。現在は東屋が設けられているので、さんぽの途中で一息つくのにぴったりの場所です。傍らには十九夜塔があります。かつて、十九夜講と呼ばれる女性たちが集まり、この場所で夜を徹して祈りを捧げていたそうです。 舟つなぎ石 明治6年に船会社を作り、9艘の舟をつないで、その上に板を渡す「船橋」方式が取られていたそうです。千曲川の渡し舟をつなぐために石に穴をあけて使われた「舟つなぎ石」が、今も川沿いに残っています。千曲川はたびたび増水し、橋が流されることも多かったため、舟運が重要な交通手段でした。舟つなぎ石は、そんな歴史を今に伝える貴重な遺構です。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー...

佐久・中山道さんぽ 第3弾|塩名田宿:千曲川と宿場町 水辺の景色を楽しむのんびりさんぽ

こんにちは。プラザ佐久です。天気の良い日は、どこかへ出かけたくなりますよね。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。宿場町を巡る「歴史さんぽ」はいかがでしょうか。 第3弾は「塩名田宿(しおなだしゅく)」です。千曲川を中心に形成された塩名田宿では、水辺の町ならではの景色や雄大な浅間山を望む風景をぜひ楽しんでください。 塩名田宿とは 塩名田宿は、江戸から数えて23番目の中山道の宿場町です。千曲川の東側に作られた川沿いにあり、浅間山を望む自然豊かな場所にあります。 千曲川は「近郷無類の荒れ川」とも呼ばれ、たびたび氾濫を繰り返してきました。橋が流されると旅人は渡し舟を使うしかなく、川の増水時には旅人の足を止める宿として重要な役割を担っていたそうです。また、舟運や交通の要所としても栄えたそうです。江戸時代には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠7軒が並び、東西に長い町並みが特徴です。 下宿・中宿・河原宿の3つのエリアと、千曲川の西側には塩名田宿の加宿だった御馬寄村も位置しており、それぞれに異なる趣があります。町並みを歩くと、家々の軒先に「〇〇屋」といった旧屋号の看板が掲げられており、江戸時代から続く宿場町の歴史や人々の暮らしを感じられます。 町並み紹介・見どころ 駐車場:旧浅科公民館は本陣問屋跡の向かいにあり、公共トイレも設置されています。バス停のある大きな通り沿いにあるため、利用しやすい立地です。 下宿・中宿・河原宿・御馬寄村、各エリアの町歩き 下宿 宿場町の入口にあたり、かつては旅籠や商家が軒を連ねていました。今も古い建物が点在し、静かな雰囲気が漂います。中宿との間には小諸宿へ至る小諸道があり、小諸藩にとって領内支配の主要道路だったそうです。明治2年(1869年)の川西騒動では、小諸藩兵がこの道から塩名田宿へ入り、千曲川の西エリアにある御馬寄地区へ集結した一揆勢と向かいあったそうです。 中宿 ここは宿場の中心部にあたります。本陣・脇本陣・問屋場が置かれ、旅人や大名行列でにぎわったエリアです。現在も本陣問屋跡(大井屋・丸山善兵衛本陣跡)が残っています。建物は個人宅のため内部は非公開ですが、外観から歴史を感じることができます。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 佐越家住宅は天保2年(1831年)築の町屋で、もとは農家でしたが町屋造りに改築されたそうです。隣には白壁・土蔵造りの蔵元があり、かつては造り酒屋としてにぎわったそうです。 河原宿 千曲川に近いエリアです。通称「お滝通り」と呼ばれる坂を下ると、旅籠風の建物がいくつか現われます。川魚料理屋や昭和初期の建物も残り、かつてのにぎわいが感じられます。千曲川に近いこの通りは、川のせせらぎとともにさんぽが楽しめるエリアとなっています。昭和6年(1931年)に千曲川に架かる中津橋が架け替えられ、国道が高い位置を通過するようになりました。そのため、国道沿いの住宅では既存の2階建に増築して4階建てとし、国道へ直接出られるようにした住宅が見られます。また、国道に上るための階段も所々に作られています。 河原宿では、「塩名田宿宿場祭り」が毎年10月第2日曜日に開催されています。宿場綱引き大会や中山道宿場太鼓など、地域をあげてのにぎやかなイベントです。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー 御馬寄村(みまよせむら) 平安期に官牧望月牧(かんぼくもちづきのまき)の牧馬を検査し、朝廷への貢馬を寄せ集めた場所だったことから「御馬寄」という地名になったと伝えられています。近隣地域にも「駒寄」「御牧原」など牧場運営の中心的な施設があったそうで、望月牧の一部として機能していたそうです。 望月地域の歴史については、プラザ佐久の他の記事もぜひご覧ください。【佐久エリア紹介】望月地区の魅力とは。歴史ある建物や風情が残る町並みを散策佐久・中山道さんぽ 第1弾|望月宿:レトロな街並みを楽しむ初夏のさんぽ道 江戸時代には馬や人夫が配備され、木賃宿もあったそうです。八幡宿まで3kmと近く、川止めなどの際の宿泊者にも対応していたそうです。また、米市場として集落には数軒の穀物問屋や商家があり、物流の拠点としても繁盛したようです。 塩名田宿を象徴する史跡と寺社 休み茶屋跡と湧き水と十九夜塔 中宿から河原宿への坂を下る途中には、かつて「滝明神」があり、ケヤキの根元から水が湧き出ていました。隣には「角屋」と呼ばれた休み茶屋があり、旅人の疲れを癒やしていました。滝明神はその後、塩名田神社へ移されましたが、今も清らかな水が流れています。現在は東屋が設けられているので、さんぽの途中で一息つくのにぴったりの場所です。傍らには十九夜塔があります。かつて、十九夜講と呼ばれる女性たちが集まり、この場所で夜を徹して祈りを捧げていたそうです。 舟つなぎ石 明治6年に船会社を作り、9艘の舟をつないで、その上に板を渡す「船橋」方式が取られていたそうです。千曲川の渡し舟をつなぐために石に穴をあけて使われた「舟つなぎ石」が、今も川沿いに残っています。千曲川はたびたび増水し、橋が流されることも多かったため、舟運が重要な交通手段でした。舟つなぎ石は、そんな歴史を今に伝える貴重な遺構です。 引用:佐久市デジタルフォトギャラリー...

佐久・中山道さんぽ 第2弾|小田井宿:軽井沢から少し足をのばして、静かな宿場町を歩く

こんにちは。プラザ佐久です。 お出かけにぴったりな季節になってきました。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。初夏の空気と風景にぴったりの“新緑さんぽ”をご提案します。 第2弾は「小田井宿(おたいしゅく)」です。日常の喧騒から少し離れて、静かな宿場町で癒されてみてはいかがでしょうか。 小田井宿とは 小田井宿は、かつて江戸と京都を結んだ重要な街道、中山道の宿場町の一つです。険しい碓氷峠を越え、信州の佐久平に入って最初に現れる宿場町の入口にあたります。 その規模は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒と比較的小規模でしたが、重要な役割を担っていました。隣接する追分宿には、大名行列が宿泊することが多かった一方で、小田井宿は姫君や身分の高い女性たちが主に利用したことから、「姫の宿」とも呼ばれていたそうです。静かで落ち着いた雰囲気が、女性たちの旅の疲れを癒したのかもしれません。 町並み紹介・見どころ 小田井宿は主要幹線から外れているためか、古い建物や当時の雰囲気が色濃く残されていることから、「中山道小田井宿跡」として御代田町指定史跡として保存されています。 小田井宿には中山道小田井宿観光客専用駐車場があり、無料で利用できます。数台が停められる小規模な駐車場ですが、宿場内にありアクセスがしやすいです。また、御代田駅からは徒歩20分の距離です。歩いていくと、長野県道137号線と交わる小田井上宿交差点に「小田井宿入口標柱と石塔」があり、中山道を江戸方から辿るように歩くことができます。 宿場町を感じる建物 小田井宿の本陣は、安川家が代々務めてきたそうです。建物は、宝暦6年(1756年)に建てられており、改修が行われながらも一部当時の建物が残っているようです。文久元年(1861年)に、皇女和宮が14代将軍徳川家茂の元へ降嫁する道中で、休憩のために本陣に立ち寄ったそうです。現在では、毎年8月16日に「小田井宿まつり」が開催され、嫁いだ和宮の嫁入り行列を再現した行列が町を練り歩きます。歴史好きの方には見逃せないイベントです。 参照:御代田観光協会 脇本陣(尾台家)は、本陣のはす向かいにありましたが、明治期に小田井を引き払い移転したため建物は残されておらず、現在は表示があるのみとなっています。 小田井宿には、問屋が2軒ありました。上の問屋は、本陣と同じ安川家が営んでいたそうです。建物は江戸後期のもので、出桁造りと連子格子が綺麗に残されています。内部は非公開ですが、荷置き場・帳場・客室部・馬や・土間などの保存状態も良好だそうです。下の問屋は、飛脚問屋でもあり尾台家が営んでいました。建物は明和9(1772)年の大火以降のものです。妻入り本棟造りの豪壮な造りで、破風には懸魚がついています。また、板塀の上を這う松は樹齢300年余りなんだそうです。2軒の問屋は半月交代で仕事をしていたそうです。 旅籠は5軒ありました。和泉屋は文化・文政年間の建物で、明治期に養蚕のための改造がされたようですが、旅籠屋の原型をよく留めています。元禄期の建物とされる大黒屋も、玄関に大戸を持つ当時の建築様式を見ることができます。 前田原の名主屋敷などが残る裏道は、旧中山道の古道で江戸時代の生活道路でした。 中山道と並ぶ形で通り、飯玉神社の前を通り栄町で中山道に合流します。この道は道祖神などの石造物や焼石の石垣も残されており、当時の雰囲気を感じられる道になっています。 旧中山道沿いを歩いていると、各所に史跡案内板が設置されています。案内板を読みながら、かつての旅人たちの姿を想像しつつ、ゆったりとさんぽしてみてはいかがでしょうか。田園風景と浅間山の大パノラマのなか、新緑の季節には特に爽やかな風が吹き抜け、心身ともにリフレッシュできることでしょう。 寺社と史跡 次に、小田井宿周辺の寺社や史跡を見ていきましょう。 真楽寺 境内には長野県宝に指定されている三重塔や、御代田町指定文化財の観音堂、天然記念物の神代杉などがあります。甲賀三郎の龍神伝説発祥の地として知られ、聖徳太子、源頼朝、松尾芭蕉も参拝したと伝えられています。甲賀三郎龍伝説に基づいた龍神まつりが、毎年7月の最終土曜日に開催されています。真楽寺の境内で行われる龍神開眼式から始まり、杉木立に囲まれた神秘的な雰囲気の中、爆竹や龍神太鼓保存会「鼓響」の太鼓の音が響き渡ると、龍神が1年間の眠りから目を覚まします。このあと会場を龍神の杜公園に移し、最高の盛り上がりをみせます。 長倉神社・諏訪神社合殿 産土神で鎮守でもあり、社叢には推定樹齢200〜300年の古木が多く御代田町の指定天然記念物となっています。「小田井の道祖神まつり」は御代田町指定無形民俗文化財で、長倉神社・諏訪神社合殿での祭事を起点に行われます。藁で作られた大きなわら馬を引いて町内を練り歩くのですが、わら馬は子ども達が乗れるほどの大きさがあり、境内の神馬舎に保管されています。 御代田一里塚(大久保一里塚) 旅の目印であった一里塚も残されています。江戸初期に中山道が整備された際に作られ、寛永12年(1635年)の道路改修で街道から外れたことで、保存状態が良いまま残っています。当初は榎があったそうですが、現在はしだれ桜が植えられています。中山道佐久地域で原形をとどめるのはここだけであり、長野県史跡に指定されています。  宝珠院 樹齢300年のしだれ桜やアカマツがあり、御代田町の天然記念物に指定されています。 小田井城址 かつての山城の跡。小田井氏によって築城され、武田氏家臣板垣信方により落城した佐久屈指の大きさを誇る城でした。小田井宿の東側にあり、3方を囲う深い谷が強固な城壁となっていました。入口のW字の形をした堀や空堀、土塁、女性や子どもが逃げたと言われている「くぐり岩」の抜け穴跡が残っており、歴史を感じることができます。...

佐久・中山道さんぽ 第2弾|小田井宿:軽井沢から少し足をのばして、静かな宿場町を歩く

こんにちは。プラザ佐久です。 お出かけにぴったりな季節になってきました。佐久市の中山道沿いには、のんびり歩いて楽しめる宿場町が点在しています。今回の連載では、各宿場町の魅力や見どころをご紹介します。初夏の空気と風景にぴったりの“新緑さんぽ”をご提案します。 第2弾は「小田井宿(おたいしゅく)」です。日常の喧騒から少し離れて、静かな宿場町で癒されてみてはいかがでしょうか。 小田井宿とは 小田井宿は、かつて江戸と京都を結んだ重要な街道、中山道の宿場町の一つです。険しい碓氷峠を越え、信州の佐久平に入って最初に現れる宿場町の入口にあたります。 その規模は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒と比較的小規模でしたが、重要な役割を担っていました。隣接する追分宿には、大名行列が宿泊することが多かった一方で、小田井宿は姫君や身分の高い女性たちが主に利用したことから、「姫の宿」とも呼ばれていたそうです。静かで落ち着いた雰囲気が、女性たちの旅の疲れを癒したのかもしれません。 町並み紹介・見どころ 小田井宿は主要幹線から外れているためか、古い建物や当時の雰囲気が色濃く残されていることから、「中山道小田井宿跡」として御代田町指定史跡として保存されています。 小田井宿には中山道小田井宿観光客専用駐車場があり、無料で利用できます。数台が停められる小規模な駐車場ですが、宿場内にありアクセスがしやすいです。また、御代田駅からは徒歩20分の距離です。歩いていくと、長野県道137号線と交わる小田井上宿交差点に「小田井宿入口標柱と石塔」があり、中山道を江戸方から辿るように歩くことができます。 宿場町を感じる建物 小田井宿の本陣は、安川家が代々務めてきたそうです。建物は、宝暦6年(1756年)に建てられており、改修が行われながらも一部当時の建物が残っているようです。文久元年(1861年)に、皇女和宮が14代将軍徳川家茂の元へ降嫁する道中で、休憩のために本陣に立ち寄ったそうです。現在では、毎年8月16日に「小田井宿まつり」が開催され、嫁いだ和宮の嫁入り行列を再現した行列が町を練り歩きます。歴史好きの方には見逃せないイベントです。 参照:御代田観光協会 脇本陣(尾台家)は、本陣のはす向かいにありましたが、明治期に小田井を引き払い移転したため建物は残されておらず、現在は表示があるのみとなっています。 小田井宿には、問屋が2軒ありました。上の問屋は、本陣と同じ安川家が営んでいたそうです。建物は江戸後期のもので、出桁造りと連子格子が綺麗に残されています。内部は非公開ですが、荷置き場・帳場・客室部・馬や・土間などの保存状態も良好だそうです。下の問屋は、飛脚問屋でもあり尾台家が営んでいました。建物は明和9(1772)年の大火以降のものです。妻入り本棟造りの豪壮な造りで、破風には懸魚がついています。また、板塀の上を這う松は樹齢300年余りなんだそうです。2軒の問屋は半月交代で仕事をしていたそうです。 旅籠は5軒ありました。和泉屋は文化・文政年間の建物で、明治期に養蚕のための改造がされたようですが、旅籠屋の原型をよく留めています。元禄期の建物とされる大黒屋も、玄関に大戸を持つ当時の建築様式を見ることができます。 前田原の名主屋敷などが残る裏道は、旧中山道の古道で江戸時代の生活道路でした。 中山道と並ぶ形で通り、飯玉神社の前を通り栄町で中山道に合流します。この道は道祖神などの石造物や焼石の石垣も残されており、当時の雰囲気を感じられる道になっています。 旧中山道沿いを歩いていると、各所に史跡案内板が設置されています。案内板を読みながら、かつての旅人たちの姿を想像しつつ、ゆったりとさんぽしてみてはいかがでしょうか。田園風景と浅間山の大パノラマのなか、新緑の季節には特に爽やかな風が吹き抜け、心身ともにリフレッシュできることでしょう。 寺社と史跡 次に、小田井宿周辺の寺社や史跡を見ていきましょう。 真楽寺 境内には長野県宝に指定されている三重塔や、御代田町指定文化財の観音堂、天然記念物の神代杉などがあります。甲賀三郎の龍神伝説発祥の地として知られ、聖徳太子、源頼朝、松尾芭蕉も参拝したと伝えられています。甲賀三郎龍伝説に基づいた龍神まつりが、毎年7月の最終土曜日に開催されています。真楽寺の境内で行われる龍神開眼式から始まり、杉木立に囲まれた神秘的な雰囲気の中、爆竹や龍神太鼓保存会「鼓響」の太鼓の音が響き渡ると、龍神が1年間の眠りから目を覚まします。このあと会場を龍神の杜公園に移し、最高の盛り上がりをみせます。 長倉神社・諏訪神社合殿 産土神で鎮守でもあり、社叢には推定樹齢200〜300年の古木が多く御代田町の指定天然記念物となっています。「小田井の道祖神まつり」は御代田町指定無形民俗文化財で、長倉神社・諏訪神社合殿での祭事を起点に行われます。藁で作られた大きなわら馬を引いて町内を練り歩くのですが、わら馬は子ども達が乗れるほどの大きさがあり、境内の神馬舎に保管されています。 御代田一里塚(大久保一里塚) 旅の目印であった一里塚も残されています。江戸初期に中山道が整備された際に作られ、寛永12年(1635年)の道路改修で街道から外れたことで、保存状態が良いまま残っています。当初は榎があったそうですが、現在はしだれ桜が植えられています。中山道佐久地域で原形をとどめるのはここだけであり、長野県史跡に指定されています。  宝珠院 樹齢300年のしだれ桜やアカマツがあり、御代田町の天然記念物に指定されています。 小田井城址 かつての山城の跡。小田井氏によって築城され、武田氏家臣板垣信方により落城した佐久屈指の大きさを誇る城でした。小田井宿の東側にあり、3方を囲う深い谷が強固な城壁となっていました。入口のW字の形をした堀や空堀、土塁、女性や子どもが逃げたと言われている「くぐり岩」の抜け穴跡が残っており、歴史を感じることができます。...